弊社代表のインタビューコラム記事がNET IB NEWSに掲載されました。
記事 : https://www.data-max.co.jp/2013/11/18/post_16455_ib143.html 記者:河原 清明氏
<福岡で鍛えられ東京へ進出>
(株)手島建築設計事務所は、1971年2月に、現代表の手島博士氏が創業した建築設計事務所である。
「21歳のとき、1人で福岡市内のアパートの4畳半の部屋で、こたつの上のT定規でスタートしました。創業当時、福岡市内には名門の設計事務所が多数ありましたので、そのなかで、私は何をやるべきかを熟考しました。当初は、大工さんの下請の仕事をやりました。そして、大手系列の住宅機器関連の下請も行ないました。どのような小さな仕事でも、コツコツと積み上げて経験を積んでいきました。最初の仕事をいただいたときの図面は、今も残っております」と手島代表は語る。
その地道な活動で信頼を重ね、官民とも幅広い建築構造物の設計監理を手がけることとなった。手島代表は、仕事の大小に関係なく、どのような仕事でも誠実に全力を尽くすことを地元福岡で実践した。その結果、地元において上位の建築設計士として名を馳せることになる。創業からの実績は、「大躍進ではないものの堅調に推移しております。赤字は一度もありません。施主さまはじめ、さまざまな協力をしていただける方々のおかげであります」(手島代表)。
福岡で蓄えた実績を基に、約30年前に東京に進出した。その2年後から我が国ではバブルの絶頂期となり、建設業も活況で、東京の設計関係者は民間の仕事に集中した。反面、官庁関係の仕事は誰も見向きもせず、指名にすら参加しなかったという。
「『単価の安い、役所・官庁の仕事など誰がやるか』という雰囲気でした。そのなかで、私は積極的に官庁関係の仕事を受注いたしました。いわゆる落ち穂拾いをしていたのです」(手島代表)。
この時期も、福岡で全力で働いていた時期と同様に、仕事の大小にかかわらず受注し、実績を重ねていった。その活動が認められ、東京都や中央官庁からの指名が多数あった。そして、民間においても大手筋からの受注が増え、東京での基盤が構築された。創業当初の福岡での仕事に取り組んだ姿勢が、東京でも活かされたのである。東京の建築設計業者は約5,000社あるが、そのなかで同社はランキング80位以内に入る。東京でもトップクラスの地位を確立したことになる。
手島代表は、「ぜひ福岡・博多の人々は、東京に進出してほしいと思います。博多の人間の心意気は、東京に行っても通用します。乗り込んでいただきたいですね」と熱く語る。福岡で鍛えられ、その力を東京で発揮し、商売をつくる。そして事業で得た収益は、福岡で納税する。まさに、地元貢献の本物の姿である。同社は今後も、福岡と東京を往来しながら、地元発展のために高く良質な建築構造物を創出していくことが期待される。【河原 清明】